| 飯野賢治氏の関連作品一覧 |
| ゲーム |
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| タイトル |
備考 |
価格 |
ウルトラマン倶楽部2
帰ってきたウルトラマン倶楽部 |
(FC) 1990.4.7 |
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| たいむゾーン |
(FC) 1991.10.25 |
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| わんぱくコックンのグルメワールド |
(FC) 1992.4.24 |
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| 宇宙生物フロポン君 |
(3DO) 1994.8.6 |
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| 突撃機関メガダす!! |
(3DO) 1994.12.16 |
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| Dの食卓 |
(3DO) 1995.4.1 |
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| 宇宙生物フロポン君P! |
(PS) 1995.3.31 |
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| おやじハンターマージャン |
(3DO) 1995.7.14 |
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| Dの食卓 |
(SS) 1995.7.28 |
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| フロポンワールド(仮称) |
(3DO) 1995.9.14 |
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| Dの食卓 コンプリートグラフィックス |
(PS) 1995.12.1 |
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| Dの食卓 ディレクターズカット |
(3DO) 1996.1.1 |
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| ショートワープ |
(3DO) 1996.1.15 |
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| エネミー・ゼロ |
(SS) 1996.12.13 |
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| リアルサウンド 〜風のリグレット〜 |
(SS) 1997.7.18 (DC) 1999.3.11 |
SS 6,720円
DC 4,800円 |
| エネミー・ゼロ |
(PC) 1998.11.28 |
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| Dの食卓2 |
(DC) 1999.12.23 |
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| セガラリー2 |
(DC) 音楽を担当 |
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| newtonica |
(iPhone/iPod touch) 2008.8.25 |
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| newtonica2 |
(iPhone/iPod touch) 2008.12.2 |
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| newtonica2 resort |
(iPhone/iPod touch) 2009.1.3 |
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| 書籍 |
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| タイトル |
| ゲーム Super 27 Years Life - 飯野賢治 著 講談社 1997.7 |
| ゲームを変えた男 飯野賢治 EO事件の真相 - 中田宏之 編 メディファクトリー 1997.12 |
| 新・学生時代に何を学ぶべきか - 講談社 1998.2 |
| スーパーヒットゲーム学 - 飯野賢治 著 扶桑社 1998.6 |
| トップランナー Vol.2 - NHK「トップランナー」製作班 KTC中央出版 1998.5 |
| ワープ会社案内- 飯野賢治/ワープ著 北都 1998 |
| 2003 飯野賢治対談集 - 飯野賢治 著 ソニー・マガジンズ 1999.3 |
| 飯野賢治の本 - マイクロデザイン 編 |
ティーンズメール subject:わたしの気持ち - 朝日新聞学芸部/編 教育史料出版会
2003.4 |
| レッドブック ワルツの雨 RE - 清涼院流水 飯野賢治 共著 幻冬舎 2006.12 |
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概要
東京都荒川区出身。英才教育の幼稚園に入り、小学校2年で母親が失踪。その後父親と2人暮しをしながら3年の頃、初めてパソコンを購入し、その後5,6年の頃に作った『十和田湖殺人事件』がゲームコンテストに入賞した。城西大学付属川越高等学校を中退後、約1年のバイト生活を経て大検を受けるもあえなく失敗。1988年にゲーム制作会社有限会社インターリンクに入社する。
1989年にはゲームの下請け会社EIMを設立した後、1994年に株式会社ワープを設立。バンプレスト・HAL研究所等に営業活動を行う。またこの頃並行してゲーム専門学校の講師を勤めていた。
代表作の『Dの食卓』(3DO版)が「マルチメディアグランプリ'95 通産大臣賞」を受賞し、一時期はゲームデザイナーの代表として積極的にマスコミに露出、ラジオ番組のレギュラーをもつなど時代の寵児的扱いを受けた。当時のノリは「企業というよりもバンド」と語っており、ゲームソフトの販売本数は多かったが、依然経営は苦しかったと自伝で語っている。
2000年スーパーワープ設立、代表取締役社長に就任。しかしその後はこれといったヒット作に恵まれず、スーパーワープも現在は社名をフロムイエロートゥオレンジに変えネットワークやIT関連の仕事をしている。
2003年に、講談社発行の文芸誌「ファウスト」創刊号にて小説家デビューを果たした。
2004年に「朝日新聞」紙上にて行っていた10代向けの人生相談を終了。
2006年に、引退していたと思われていたゲーム製作に復帰している事が日本国外のメディアで報じられる。現在Wii用ゲームソフトを製作中とされている。
2007年11月22日、「そろそろゲームのことを語ろうか。第1回『エネミー・ゼロ』 」で数年ぶりに自らのゲーム開発履歴を振り返るコメントを語った。
2008年8月25日、『moon』のクリエイターでもある有限会社Route24代表の西健一と共同開発したiPhone/iPod touch用App『newtonica』をリリース。iPhone/iPod
touch独特の操作を巧みに取り入れ、洗練されたビジュアルとサウンドも相まって好評を博し、発売直後に日本のApp Storeランキング1位となり、世界各国でもチャートインする。続編として、2008年12月に『newtonica2』、2009年1月に『newtonica2
resort』をリリース。
愛読書は、デカルト『方法序説』、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、カント『純粋理性批判』、ニーチェ、ユング等、哲学に造詣が深い一面もある。また、自分で作曲をすることもあり、音楽家のマイケル・ナイマンとも親交を持つ。各界の著名人にも面識が多く、堀江貴文などとも親交があるようである。
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逸話
『エネミー・ゼロ』のプレイステーションからセガサターンへのプラットフォーム変更を、わざわざソニー・コンピュータエンタテインメント主催のプレイステーション関係のイベントで電撃発表。
『風のリグレット』を酷評した「ファミ通」のクロスレビューを批判し「このゲームを評価するなら10点満点か評価不能のどちらかにしろ」と発言し編集部と対立。発言のニュアンスとしては、ゲームの評価は極端にハマる人もいれば極端に合わない人もいる。このジャンルが極端に合う価値観の人だっているはず、そういう人にこのレビュー方式では面白さを伝えられない、という意味である。
かつては編集者と「減量」やトレードマークであった「ロン毛を切る」等を賭けてサッカーゲーム対決をしていた。
ゲーム専門誌の『エネミーゼロ』特集記事において、任天堂の宮本茂を評して「宮本さんは所詮2Dまでの人。3Dはもうダメかな」と発言。また、雑誌での宮本との対談にて『スーパーマリオ64』の評価を本人に直接行った。険悪な感じではなく、かねてから敬意を表し、いちファンとして期待していた宮本の新作への違和感を述べたものである。またそれに対して宮本は「どんどん言ってください。参考になります。」と答えていた。後者は『飯野賢治の本』に詳細が記されており、飯野は『マリオ64』開発途上版の自由さを絶賛しており、製品版はスター集めゲームになってしまい残念と語った。宮本は「そういうのは飯野君や飯田君が頑張ったら?」として、9800円を払ってもらう責任を考えれば、製品版の方が遊べる物になっていると答えた。
現ゲームリパブリック社長岡本吉起に話の流れで「お前だけは二流」と言われている。詳しくは岡本吉起#語録を参照のこと。
1997年には画面表示一切無し、音だけでプレイするゲーム『リアルサウンド〜風のリグレット〜』を発売して話題に。
1998年に『伊集院光深夜の馬鹿力』にゲスト出演した際、「気違い」という言葉を使ってしまい、CM明けに伊集院がお詫びした。
「キャラ(版権モノ)、続編、移植(アーケード移植)」をゲーム三大悪と語り、一時は八割がどれかであったと語り、新作の重要さを訴えていた。ワープは基本的に新作を製作していたが、例外的に『Dの食卓』の続編『Dの食卓2』(『D2』)を作った。
飯野は「『D2』であることも狙い」だと語っていて、前作との関連性は殆ど存在しない。またセガサターンの『エネミー・ゼロ』が、ほぼ別物ながらセガによりパソコンに移植されるなどした。
音楽も彼を語る際には外せないキーワードである。小学生の時にYMO登場に衝撃を受け、電子音楽を始めたくてパソコンを買ったのがプログラマーとしての始まりだった。10代の時にはバンドのキーボード奏者としてライブをし、ゲーム会社に就職して最初にした仕事もゲーム音楽の製作であった。その後も音楽雑誌「BUZZ」に連載を持ち、『D2』発売時は海外の有名ミュージシャンを招聘したクラブイベントを開催した。現在も時々DJとしてイベント等に出演することがある。好きなミュージシャンとして真っ先に挙げるのはYMOとビートルズだが、ポップスだけでなく、テクノ、クラシック、ジャズなど色々な音楽を聴いている。
『ダウンタウン・セブン』の1コーナー「怒れ!熱き日本人」に出場した。これは自分の考えた企画・計画をプレゼンテーションし、その企画に100人いる一般観覧者のうち51人以上が納得すれば賞金100万円を獲得するというコーナーである。飯野は自身の趣味である海外旅行を生かし『笑顔で出国「スカイランド」計画』を提案。話術巧みにプレゼンテーションを行い、一般観覧者たちの賛同を得て、見事に100万円を獲得した。なお、その放送は2003年に行われ、最後の作品『D2』の発売から3年以上経っていたが職業はゲームクリエイターと紹介されていた。
Macintoshを愛用しており、Windowsのデザイン性などを強く批判している。坂本龍一が主催している「おやすみなさい柏崎刈羽原発」の賛同者となっている。 |
『飯野賢治の本』より。
飯野は、『スーパーマリオブラザーズ3』は熱暴走するぐらい遊んだが、『マリオ64』は遊べなかったとする。
「初心会で初めてマリオ64を触った時、すごく自由な世界観を感じたんですね。鳥に捕まったり、花畑の中を走り回ったら蝶々が出てきてびっくりしたり、わーっと滝に落ちたり、空を飛べたり。いいかげんに遊べて、そのなかでももっと遊びたい人は極めろよみたいな。でも、製品版だと、すごく厳しい部活に入ってしまったような気がしたんですよ。」と、「スター集め」というゲーム的な方向に行けなかったと語る。
そしてクッパもピーチ姫もリアルになりすぎ、劇画になってしまったようだと語り、「僕は宮本さんて良質な4コマ漫画をいっぱい描かれるような人だと思ってたんですね。その辺の話を聞きたくて。」と、宮本に質問した。
それに対し宮本は、64で可能な面白さは3Dのリアルさで、「その中で破綻のない3Dを作ろうとすると、どうしても遊びの少ないゲームになってしまった部分もあるんです。理想を言えばもっとおおらかにやりたい。だから確かに初心会バージョンの方が可能性を秘めていた。でも、仕上げのレベルは製品版のほうがいいと思ってるんです。」と語った。
その後、飯野は『マリオ64』のカメラを高く評価し、宮本も「どんどん言って下さい、参考になりました」と答えた。 |